原村議会 2020-03-03 令和 2年第 1回定例会−03月03日-04号
観光地利用者統計から平成31年1月1日から令和元年12月31日に原村ペンションに宿泊をされた方は、これは統計ですけれども、4万8,000人ぐらいということで、そのうちの30%の方、1万4,500人の方がもみの湯を利用していただき、今は650円ですけれども、仮に500円、150円値下げした場合、もみの湯の売上が年間で220万円ほど減少になるというような計算になります。
観光地利用者統計から平成31年1月1日から令和元年12月31日に原村ペンションに宿泊をされた方は、これは統計ですけれども、4万8,000人ぐらいということで、そのうちの30%の方、1万4,500人の方がもみの湯を利用していただき、今は650円ですけれども、仮に500円、150円値下げした場合、もみの湯の売上が年間で220万円ほど減少になるというような計算になります。
議員おっしゃった本来のペンションの姿というのは、ちょっと私は十二分にまだ現時点では理解できていないわけですけれども、一番はそういったペンション村、議員おっしゃられた、私も東京で昭和50年かな、49年だったかな、日本経済新聞の1面の半分に原村ペンションということで広告記事が載った記憶があります。
きのう、村長の答弁の中で原村ペンションの行方不明者の発見のときに発見された廃墟等々のことで、そういったあそこまで廃墟になってしまうと、もうリフォームの施しようもないというようなところになっている物件も数多くあります。
原村のイメージはですね、東京へ行っても原村といえばペンションの原村だということで、ペンションというのはもう私も東京に学生でおりましたけれども、昭和49年ぐらいかな、日本経済新聞のもう1面に原村ペンションというような広告が出ていまして、周りからおまえのところかなんていうことは言われたことがございます。
議員御指摘のように、原村中央高原は原村における観光事業を担うエリアとして、昭和48年ごろからペンションが建設されですね、私も当時は東京におったんですけれども、前にも申し上げたように、日本経済新聞の1面にね、原村ペンションだってことで大きく広告を出され、学生時代の友達から、いや、おまえのところの原村が出ているぞなんていうことで言われた記憶がございます。
このような減少傾向は全県的なものではありますけれども、主な要因とすればですね、私も50年当時は東京におりましてですね、日本経済新聞1面にですね、原村ペンションという全面広告が出たような時期もございます。
中央病院の利便化、復路面についてとこういうことでありますが、中央病院へのバスの運行本数は、駅から病院を周り駅に戻る循環線が10本、柏原、上槻木、中新田、美濃戸口、原村ペンションから病院を経由して駅へ来るのが1本、駅から病院を経由して上槻木へ行くのが2本、美濃戸口へが1本ということで、決して十分な数ではありません。しかし、いつも申し上げておりますが、バスの利用者がますます減少している。
から運動公園、病院、神之原、粟沢橋経由が4便、それから駅から運動公園、病院、神之原、粟沢橋、駅というのが1便で計10便でございますが、このほかに今お話がございましたように各地から病院を経由しなければならないということで、以前から諏訪バスにお願いして、8便中央病院を経由しているバスがあるわけですが、これは上槻木から1便、柏原から1便、中新田、玉川、穴山経由から1便、それから八ヶ岳美濃戸口より1便、原村ペンション